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第35号「暮れの一息」平成14年12月
第34号「仕事の目的」平成14年11月

第33号「ありがとうの重み」平成14年10月
第32号「人生の午後のラウンド」平成14年9月
第31号「心静かに 師・友・道 への問い」平成14年8月
第30号「あなたの目標は何ですか?」平成14年7月

第29号「穏やかに生きるヒント」平成14年6月
第28号「嵐の中を生き残る4つのヒント」平成14年5月
第27号「我が家の先生 パート4」平成14年4月
第26号「素直な慎み」を忘れず、「腹八分目のスタンス」で!平成14年3月
第25号「諸行無常・因果応報」平成14年2月
第24号「自分を好きになり、自分に善い事をするのが一番!」平成14年1月
第23号「暮れの一息」平成13年12月 
第22号「−の中の+に感謝」平成13年11月
第21号「55歳のスタート」平成13年10月


「暮れの一息」

   暮れのお忙しいところ 恐縮ですが
   息を吸って 止めて・・・  ゆっくり 吐いて・・・
   息を吸って 止めて・・・  ゆっくり 吐いて・・・
       「 フゥーッ・・・!」

 ひとつ、変な事を お聞きしていいですか?
なかなか思い通りにならない、この厳しき一年
あなたはどんな失敗の体験をされましたか?
より以上の自分を目指したり、自分の夢に挑戦した上での失敗でしたか?
それとも夢を逃れ無難に生きた上での失敗でしたか?
       「・・・・・・・?」
 そして、これが一番お聞きしたい事ですが
失敗した時、どんな気持ちになりましたか?
        「・・・・・・・?」 
 無難に生きて失敗した時は、自己嫌悪に陥りませんでしたか?
より以上を目指して失敗した時は、感じ方が少し違いませんでしたか?
       「・・・・・・・?」
 失敗した時、「それでも自分が好き」と言えたらステキですよね。
なかなか思い通りにならない大変な時代だからこそ、
失敗しても「自分が好き」と言える夢を、持ち続けたいものですね。
あなたの「本気な夢」は何ですか?
       「・・・・・・・?」  

     この一年 ありがとうございました。

      平成14年 暮れ

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「仕事の目的」

仕事の目的を考えてみますと、

 一つは、生活の糧を得る事。これは異論のないところでしょう。

 一つは、仕事を通して力をつける事。
 「同好会」と「部活」を例に取りますと、
「同好会」は、やりたい時だけやる。面白おかしく気楽にやるのが目的。
無理せず今の自分の出来る範囲でしかやらないので、力はなかなかつかない。 
「部活」は、やりたくない時も、部員一同必死に自分の限界に挑戦し、
試合に勝つ為に必要な力を、潜在能力から引っ張り出す。

 そんなに苦労してまで、無理してまで仕事をしたくない。
ちょっと失敗したり、うまくいかないと「自分にはこの仕事は向かないんじゃないか?」
「他にもっと自分に合った良い仕事があるんじゃないか?」と迷う人は、
人生を同好会と勘違いして生きているのでは?
同好会的人生は、気楽な人生ですが、平均以上の幸せは手に入りにくい。
気楽な人生には、平均以上の評価を与えないという世の公平なシステムが働くからです。

 迷いながら、気楽にやっていたのでは、いい加減なものしか手に入らない。
今、自分に与えられている仕事を、結果を出そうと思って一生懸命やってみる。
努力が一定のレベルに達した瞬間、その仕事に必要な力が湧いてくる。
高校球児が体験するように、高校時代に投手だった選手が、プロの世界に入ると野手に転向して花開くように、真剣に努力し続けていると順々に自分の力に出会っていく。

さりとて、努力の為の努力では、「真の力」は引っ張り出せないようです。
我が身に起きる幾多の問題の中から、「これは自分にとって避け得ない課題だ」と、
心がとらえた時、その課題が努力せざる得ない原動力となり、
「真の力」を引っ張り出してくれるようです。

人が「真の力」を手に入れる目的は、「あの舞台に立てたら、自分は死んでも本望だ」という、死に得るものと出会い、それを生きる為ではないでしょうか?
人は仕事を通して力をつけながら、いつしか自分の使命に気づいていくのでしょう。

平成14年11月

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「ありがとう」の重み

 
  平成14年9月19日は、長女 海帆29歳の誕生日であった。
娘は29歳の誕生日に、北の大地の青空の下で小さな結婚式を挙げた。
参列者は、双方の家族とさわやかな緑の風。
静かで暖かい結婚式であった。

 
バージンロードを娘と歩いた。
私の腕に回した娘の手のぬくもりを感じながら、
ゆっくりと歩いた。
歩きながら、娘との29年間の事を思い出そうと思った。
しかし、何かが一気に溢れそうになる。
ただ、奥歯を噛み締めながら、一歩ずつゆっくりと歩いた。
娘の手が小刻みに震えながら、私に訴えてきた。
私も歯を喰いしばって、応えた。
   「ありがとう・・・」
   「ありがとう・・・」
無言の行進であったが、29年間で一番通じ合った瞬間だったような気がする。
この女性が、私の娘であった事を心から感謝しながら歩いた。
 
  私は今までに、何百回・何千回「ありがとう」と言って来ただろう。
色々な時に、色々な場所で、色々な人々に言って来た。
それはそれで意味があり、ありがたい事であった。
しかし、無意識に便利な言葉として使ってきた節がある。
  娘との無言の会話で、思い知らされた。
「ありがとう」の一言が、こんなにも暖かく人を幸せに包んでくれる事を。
何も足さず、何も引かない、素のままの「ありがとう」の重さを思い知らされた。
 
 
  北の大地は厳しい故に、
人を優しく包み込んで、こんな気持ちにさせてくれるのだろうか。
北の大地の青空の下、父親の喜びと寂しさを味わった。
 
平成14年10月

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「人生の午後のラウンド」  
 
  本年6月をもって、TKC神奈川会の会長職を辞した。
多くの人々に支えられ、職責を果たせた事に改めて感謝の念が湧いてくる。
私にとって、貴重であり大変な5年間であった。
  私の友人達の内、役職を降りた途端、無力感に襲われた者が何人かいる。
私が会長職を辞するにあたって怖れた事の一つは、腑抜けになる事
である。
  今まで、私のスケジュールの多くは会務の為に割かれ、
自分の時間であって、自分の時間でない日々を送ってきた。
そのスケジュールが突然無くなってしまう。突っかい棒を突然はずされたようなもの。
突んのめって転ばないよう、戻ってきた時間をどこに向けるか模索した。
 
  ここまで努力して自分の才能を磨いてきたが、格別な能力という程のものではない。
それでもここまでやってこれたのは、多くの人々のお陰だと思う。
  体力も10年前に比べれば落ちてはいるが、当時必要であった子供達の教育費や
マイホーム等の資金を、体力にまかせて稼ぐ必要もなくなってきている。
  今まで演じてき役割や肩書きから解放され「素の自分」のままで、
制約のない「自分探しの旅」に踏み出す環境が整ったようだ。
 
・これからは、何かの為に「したい事」を後回しにすることなく、
  「したい事」を優先しながら、自分の中の新しい芽に出会い育てて行こう。
  いまだ自分が気づいていない、どんな「芽」に出会えるか楽しみである。
・身の回りを整理し、気を散らすものを切り捨て、シンプルに生きて行こう。
多くのものを持ち過ぎるからこそ、迷い粗末になる。
少ししかないからこそ、かけがえのない大切なものになる。
・今までの激流のような流れとは違う、ゆるやかな時の流れに身をまかせ、
  「あるがままに・おだやかに」生きて行こう。
 
  午前のラウンドを無事に終え、いよいよ最終ホール目指して、
「人生の午後のラウンド」をスタートします。
 
    
平成14年9月

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心静かに「師・友・道」への問い
 
 景気に左右されるものの一つに、自殺者の動向がある。
交通「戦争」と騒がれる事故による死者の数9,800人。
自殺者の数は32,000人。戦争と称されるものに対して、3倍という異常値である。
生活苦・経済苦による、40・50歳代の自殺者の数が増加しているという。
私には、うかがい知れぬ特別な事情があるのだと思う。
色々な事情の中から私が思う二つの事について、宗寛和尚にお聞きした。
「この人たちは、人生を見誤ったのでしょうか?」
「遊び半分(手抜き)で生きたからでしょうか?」
 
 宗寛和尚は言われる。
『人は一人の人間として、個別性を持ってこの世に生まれてくる。
その個別性には、非常に豊かな感受性があり、多くの体験により刺激を受け、
自分の判断基準を作る。この基準はあくまでも限定的で個別的なもの。
豊かな感受性は、自分の都合の良いようにものを見る「色メガネ」を作り上げる。
この色メガネによって、人は知らない内に「かたより・こだわり・とらわれ」て生きる。
この「かたより・こだわり・とらわれ」に気づく事は難しい。
気づく事が難しい故に、人は人生を見誤る。
自殺という責任の取り方をした人達には、見誤った時や遊び半分になった時に、
気づかせてくれる「師・友・道」を持っていなかったのでは?』と。
 
 「師・友・道」を手に入れるには、これこそ遊び半分では到底無理。
宗寛和尚と静かにお話しできるまでには、10数年の歳月が必要であった。
心から忠告してくれる友を持つには、出会ってから20数年の歳月が必要であった。
「道」を手に入れるには、50数年の歳月を費やしても、未だ至らず。
 
 人生を見誤らぬよう、心静かに「師・友・道」への問いを発し続けていこうと思う。
「気後れする心を奮い起こし、導いてくれる師に近づこうとしているか?」
  「遊び友達ではなく、心から忠告してくれる友を求め続けているか?」
  「自己の天分への問いを発し続けているか?」        
 
平成14年8月

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「あなたの目標は何ですか?」
  
 
 先日、ある人に「あなたの目標は何ですか?」と問われた。
いつもなら、すっと口を出る言葉が出なかった。
口の中でモゴモゴして、言葉にならなかった。
1ヶ月後、この詩に出会った。
あの時、言葉にならなかった意味が、少しわかったような気がした。
(1)                   (2)
 ごめんなさいね おかあさん        ありがとう おかあさん
 ごめんなさいね おかあさん        ありがとう おかあさん
 ぼくが生まれて ごめんなさい       おかあさんが いるかぎり
 ぼくを背負う おかあさんの        ぼくは生きていくのです
 細いうなじに ぼくはいう         脳性マヒを 生きていく
 ぼくさえ 生まれなかったら        やさしさこそが 大切で
 かあさんの しらがもなかっただろうね   悲しさこそが 美しい
 大きくなった このぼくを         そんな人の 生き方を
 背負って歩く 悲しさも          教えてくれた おかあさん 
 「かたわな子だね」とふりかえる      おかあさん
 つめたい視線に 泣くことも        あなたがそこにいるかぎり
 ぼくさえ生まれなかったら         ぼくは生きていくのです
   (27年前に、当時15歳で亡くなった脳性マヒの少年の詩です)
 
 今まで、立派な事をして賞賛されるような人間になりたいと願ってきた。
 頑張って、裕福な生活が出来るようになりたいと強く願ってきた。
 価値のない人と思われるより、価値のある人と思われるほうが良い。
 貧乏でいるより、裕福な方が良い。
しかし、もっと良い事があるような気がしだした。
 今度、「あなたの目標は何ですか?」と問われたら、
「与えられた環境で、心を磨く事です」と言おうと思う。
人の目を気にする事を弱めて、自分らしく生きる事を優先しようと思う。
 
平成14年7月

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穏やかに生きるヒント
 
人生には辛い事より、楽しい事があった方が良い。
    嫌な事より、良い事があった方が良い。
    思い通りにならない事より、思い通りになった方が良い。
だから、誰しも、辛い事・嫌な事・思い通りにならない事を避けたがる。
 
 どんなに自分が好きで始めた事でも、良い事ばかりはなく、嫌な事もある。
いやいや始めた事でも、嫌な事ばかりはなく、良い事もある。
どんな選択をしても、人生には良い事・悪い事が必ずセットされている。
 
 我が身に起きた出来事を否定したいと思っても、起きた事実は消せない。
そして、消せない事実を否定すればするほど苦しくなる。
 又、試練を避ける事も可能だが、後が怖い。
避けた一時は確かに楽になるが、後で必ず大きなツケを払わせられる。
否定しても避けても逃れられないのなら、そのまんま受け容れるしかない。
正々堂々と真正面からぶつかっていくしかない。
 良い事ばかり起きて喜ぶ事が生きる目的ではなく、試練に耐え、試練を乗り越えていく過程で「自分の心を磨くこと」が、我々に課せられた課題なのだろうから。
 
 試練を乗り越えていく時、心したいことは、
小さな努力で大きな効果を期待し過ぎるという、一種のズルさを捨て切る事。
大きな努力で小さな効果を志すと、明るく正々堂々と生きられる。
欲望のままにしたいことをするのではなく、心を高める為に必要なことを優先する。
そして、耐える事に疲れてきたら、悪い事の一方で良い事もあることを思い、一息入れると良い。足るを知り・腹八分目を心すると、少し穏やかに生きられるような気がします。
「我が身に起きる出来事を、あるがままに受け容れ、我慢・精進・自戒し、利他の心を高める為にこの世に生まれたんだ!」と心すると、辛い事は「避けたい事」から「必要な事」と思われ、穏やかに生きれるような気がします。
 
 
平成14年6月
 
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嵐の中を生き残る4つのヒント
 
今、世の中は凄まじい経営環境の中、新たな経営革新の嵐が吹き荒れようとしています。
嵐に吹き飛ばされないように、もう一度、じっくりと足元を固めたいものですね。
嵐の中を生き残るヒントを、感じるままにまとめてみました。
 
1番目に「役立ち・貢献」
  自分の会社が無くなったら、お客様が困ってしまうような役立ちをしているか?
  「あの会社でなければダメ」と言われるような、存在理由のある会社か?
お客様の喜びが自分の喜び。より以上喜ばれる為、自己の天分を磨き続ける。
2番目に「努力・精進」
  お客様に役立つ為の努力を厭わず、全社一丸となって精進しているか?。
  小さな努力で大きな効果を期待するというズルさを捨て、
  大きな努力で小さな効果を志し、正々堂々と生きているか? 
3番目に「我慢・忍耐」
  努力してうまくいかないよりは、うまくいく方が良いに決まっている。
  しかし、諸行無常は世の習い。波瀾万丈の試練が、誰の人生にもセットされている。
  きっと、良い事ばかり起きて喜ぶのが、生きる目的ではなく、試練に耐え、試練を
乗り越える過程で、「自分の心が磨かれること」が生きる意味なのでは?
4番目に「自戒・知足」
  1番目から3番目をコツコツ続けて良くなった時に、大きな試練が待っている。
  「これぐらいはいいだろう」という、おごりの心である。
  良くなった時ほど自我の計らいを抑え、足るを知り、腹八分目を心して自戒する。
 
  嵐の中を生き残るには、世の中の役に立ち貢献出来る生き方をしないとダメ。
この生き方は只一つ。自己の天分に沿って生きる事。自己の天分に沿って生きていると、
「努力・精進」は、「しなければならないもの」から「したいもの」に変る。
「我慢・忍耐」は、「避けたいもの」から「必要なもの」になってくる。
「自戒・知足」は、「目先の欲望充足」より「自己実現の欲求」が優ってくる。
  ナイスショットの理屈がわかっても、すぐにナイスショットが出来る訳ではない。
人生のナイスショットの為には、くさらず元気に日々の飽くなき精進が必要なようです。
 
平成14年5月
 
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我が家の先生(パート4)

我が家には、4才4ケ月(体重14kg)オス犬「トム君」がいます。
トム君は、朝ご飯を食べながら、「今日は何をしようか」とは考えない。
大好きなボール投げをしながら、「昨日の方が面白かった」とは考えない。
(トム君が生きている世界は、昨日でもなく、明日でもない。「今、この一瞬!」) 
 
   
他の犬と比較して、「自分の方がすごい犬だ」とか、「ダメ犬だ」とかは考えない。
家族の者が帰ってくると、玄関に飛び出し、ちぎれんばかりに尻尾を振る。
その時だって、「こうしたら、もっと自分が好かれるだろう」とは考えない。
暇さえあれば寝ている自分が、情けない役立たずの存在であるとは考えない。
(人の評価に依存せず、「そのまんまの自分が一番ステキ」と思っている?)     
 
  トム君の嗜好に関係なく、毎日、毎日、同じドッグフードを食べさせられる。
大好きなボール投げだって、トム君のしたい時ではなく、人間さまの都合の良い時。
どんなに尻尾を振ったって、人間さまの都合で、大嫌いな留守番をさせられる。
しかし、自分の都合の良いようにならないからといって、自分は不幸せだとは考えない。
   
       自分にとって、うれしいことがあれば、うれしがり
              腹が立つことがあれば、怒り
              悲しいことがあれば、悲しがり
              楽しいことがあれば、楽しがるだけ
 
 
  思い通りになったとか、ならなかったという事には無頓着に、
我が身に起きる出来事を、そのまんま受け容れ、そのまんま生きている。 
「今、ここ!」その瞬間瞬間を「とらわれず・こだわらず」自由に生きている。
何の修行もしていないのに、こんな生き方が出来るトム君はすごい!
 

平成14年4月
 
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「素直な慎み」を忘れず、「腹八分目のスタンス」で!
 
 予測もままならない、未曾有の不況の真っ只中、お客様との相談を通して、
多少の努力では、なんともならない事をひしひしと痛感します。
なんともならないこの不況を、生き抜くスタンスを何処に置いたら良いか、
あれこれ考えていて「腹八分目」という事に行き当たりました。
目一杯、思い通りにしようと期待しないで、八分目で良しとするスタンス。
この不況も考えてみると、財を成し、贅沢できることが成功者の証として、
欲や贅沢をむさぼりすぎた結果であるような気がします。
謙虚さを忘れ、傲慢に生きてきた因果応報である事を思い知らされます。
そして、バブルの最中でも、謙虚に真摯に生きていた人々に、改めて頭が下がります。
 
 大自然の中にいると、人間の力の卑小さを自然に気づかされ、
いつしか謙虚になっている自分に、苦笑してしまいます。
そして、大自然の中の「素直な慎み」を身につける事の大切さを思います。
素直な慎みを身につけると、うまくいかなくても落ち込まず,
思い通りにならない事へのわがままさが、薄れるような気がします。
そして、慌てず騒がず自分の人生を、丁寧に生きていけるような気がします。 
 
 腹八分目で生きようとすると、「不平・不満」が減るような気がします。
腹八分目を覚悟すると、六分目でも「有り難く」思えるような気がします。
色々な出来事に喜んだり、悲しんだり出来るのは生きているからであり、
「命」ある事は当たり前ではなく、有るのが難しい事と改めて気づかされます。
そして、慎みを忘れ欲や贅沢をむさぼる事が、恥ずかしくなるような気がします。
しまいには、腹五分目でも不平・不満を持たなくなるような気がします。
 
 大自然の中の「素直な慎み」を忘れず、「腹八分目のスタンス」で、
 自戒して、善いことを思い、善いことを選択していこうと思います
 
平成14年3月

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「諸行無常・因果応報」

年が明けて間もないというのに、色々な出来事が身の回りに起きてくる。
思いもよらない事件や出来事が、波状攻撃のように押し寄せてくる。
コツコツと、積み上げてきたものが、アッという間に消えてしまう。
「諸行無常」とは、よく言ったものだと思う。しかし、よくよく考えてみると、
我が身に起きた出来事は、自分の選択の結果である事に気づかされる。
「因果応報」とは、正にこの事かと、今更ながら思い知り、再確認させられた。
 
 生きるという事は、「修行すること・心を磨くこと」
色々な出来事は、一喜一憂する為にあるのではなく、必要な事を学ぶ為。
 修行の人生だから、人生には「諸行無常」が用意されているのだと思う。
人生が無常に変化し続けるから、成長のチャンスが生じる。
安定していたら、のんびりして成長が止まってしまう。
 
 良い選択は良い結果、悪い選択は悪い結果と、「因果応報」であらねば、
行動の選択の指針とはなり得ない。
たまには悪い選択が良い結果になる事もあるが、そんなもの当てには出来ない。
たまに起きるまぐれ当たりや、ラッキーさを当てにする人生なんて、
どこに行き着くか分かったものではない。
 
 人生とは、「諸行無常」という荒波にもまれながら、
「良いことを選択したら、運が良く。悪いことを選択したら、運が悪い」
という、「因果応報」に学びながら生きることでしょうか。
良い結果は、浮かれる為ではなく、ますます謙虚に良いことをし続ける修行。
悪い結果は、憂う為ではなく、自分の選択ミスに気づく修行。
良い結果も悪い結果も、どちらも修行の為に大切な出来事。
 
  「自我の計らい」を極力抑えて、
     善いことを思い、善いことを選択して行こうと思います。
   
平成14年2月
 
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「自分を好きになり、自分に善い事をするのが一番!」
 
 世の中は「大変だ、大変だ」と騒ぎながらも、多くの人達は、まだどこかに、
ゆとりを感じさせています。もし、本格的な構造改革が実施されるとしたら、
今年は、本当にこの大変さがズッシリと骨身に応えてくるような気がします。    
好況時は、努力しなくてもなんとかなるという、プラスの勢いがあります。
不況時は、マイナスのエネルギーが作用して、努力してもなんともならない怖さがあります。
 
 こんな時、怖れに立ち向かう原動力の一つに「自分を好きになる」が浮かびました。
昔から「あばたもえくぼ」と言う言葉がありますように、
私たちは、人を好きになると、欠点さえも長所に感じる習性を持っています。
この習性を活用して、失敗して無様な姿をさらそうとも、「大好きな自分」のした事
だから「まあ良いか」と、受け容れる事が出来たとしたらどうでしょう。
怖れが小さくなり、ずいぶんと、生きる事が楽になるのではないでしょうか?
又、「自分が大好き」であったなら、人の評価もそんなに必要としないので、
人の目を気にすることなく、のびのびとあるがままの自分で過ごせるような気がします。
うまくいかなくても「それでも自分が好き」と言えたら、どんなに心が安らぐ事でしょう。
 
 この1年、自分を責める事を弱めて、怖れが小さくなる努力をしようと思います。
どんな時でも「まあ良いか」と自分を受け容れてみようと思います。
うまくいかなかった時「それでも自分が好き」とつぶやいてみようと思います。
一日80本のタバコをやめたように、自分に善い事をしようと思います。
自分に善い事をした分、人にも善い事をしようと思います。
そして、草にも木にも・・・・
そんな風に生きていると、わがままさが薄れて自分や人に優しくなれるような気がします。
そして、ますます「自分を好き」になれるような気がします。
 
 努力してもなんともならないこの時期は、
      「自分を好きになり、自分に善い事をするのが一番!」
 
 
平成14年1月

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